世界が注目!「築地ブランド」は進化する。
東京人 やっぱり、築地が面白い!

世界が注目「築地ブランド」は
進化する。

地域座談会

築地市場が、二〇一八年十月に豊洲へと移転した。それを見越して、まちはさまざまな対策を仕掛けてきた。
築地場外市場はもちろん、江戸のころから歴史を刻む築地本願寺など、「築地ブランド」を絶やすまいと動いてきた面々が、まちの未来を語る。

撮影・泉大悟
  • すずき あきおNPO法人築地食のまちづくり協議会理事長。
    築地場外市場商店街振興組合理事長、
    株式会社「鳥藤」会長
    一九四八年東京生まれ。
    七一年日本大学法学部卒業後、他店での修業を経て、
    七三年に家業の「鳥藤」に三代目として入社。
    東京都食鳥肉販売業生活衛生同業組合理事長も務める。
  • やすなが ゆうげん浄土真宗本願寺派築地本願寺代表役員、宗務長。
    一九五四年東京生まれ。
    七九年慶應義塾大学経済学部卒業。
    ケンブリッジ大学大学院博士課程修了。
    三和銀行(現三菱東京UFJ銀行)、
    外資系大手エグゼクティブ・サーチ会社
    ラッセル・レイノルズ
    などを経て、二〇〇四年に島本パートナーズへ
    パートナーとして入社、〇六年より社長。
    社長業の傍ら「中央仏教学院」で学び僧侶に。
    一五年より築地本願寺における
    僧侶職員組織のトップ「宗務長」に就任
  • こじま ひであき手焼玉子焼き専門店「本玉小島」三代目。
    NPO法人築地食のまちづくり協議会副理事長。
    一九八〇年東京生まれ。
    二〇〇〇年に家業の本玉小島に三代目として入社。
    一六年に代表取締役に就任。
溝上宏 司会

みぞがみ ひろし
株式会社NKB取締役。
一九七一年兵庫県生まれ。
九九年株式会社NKB入社、二〇〇〇年より同社から分社独立した株式会社ぐるなびへ。
加盟店開拓、飲食店BtoB事業などに従事。築地場内、場外のプロモーションなどにも関わる。一三年より現職。

― 築地というまちと、皆さんのご縁を教えてください。

鈴木 「鳥藤」は、一九〇七(明治四十)年、「花の浅草六区」とうたわれにぎわった浅草六区で祖父が創業しました。関東大震災で被災後、日本橋の魚河岸が築地へ移転する際に誘われて、二八(昭和三)年築地に支店を開設。その場所が、震災で郊外へ移転した築地本願寺の寺中子院の跡地を借り受けて食品問屋が建ち並んだ、現在の場外市場です。寺と場外市場は密接な関係にありました。三五(昭和十)年の中央卸売市場(築地市場)の正式開場にともない本店を築地に移し、以来この地で商売を続けています。日本全国から鳥を直接仕入れ、全国の鶏料理専門店や料亭に鶏肉を卸す専門店です。開業当時は、鶏肉や卵が貴重で高価な時代でした。

小島 築地市場が開設する前の海軍省施設で祖父が料理人をしていました。最初はおでん種などを扱っていましたが、父の代で「手焼き」の玉子焼き一本に。私は三歳まで築地で育ち、一度離れて二十歳で戻り家業に入りました。三十歳から築地食のまちづくり協議会の活動に参加し、夜のイベント「築地はしご酒」を三人の仲間と立ち上げて六年になります。

安永 築地本願寺は、京都の西本願寺の別院として一六一七(元和三)年に日本橋の外れに建立されましたが、明暦の大火で消失し、幕府から賜った八丁堀の沖合を佃島の門徒が埋め立て七九(延宝七)年に再建したのがはじまりです。現在の建物は、関東大震災で焼失した後、伊東忠太の設計で一九三四(昭和九)年に竣工。当時としては珍しい鉄筋コンクリートで奇抜な印象の外観に、多くの人が「日本の寺らしくない」と反対したようです。それが今や重要文化財に指定され、築地のシンボルとして多くの参拝者を集めています。

解体がすすむ築地市場跡(中央)。東京都は跡地に国際展示場の整備などを計画している。
左手前の緑豊かなエリア、浜離宮恩賜庭園と連携した親水空間も計画。右手前、隅田川沿いには船着場も整備され、舟運の要に(2019年撮影)
  • 市場移転後も、インバウンドでますますにぎわう築地場外市場。NPO築地食のまちづくり協議会が2012年に開設した総合案内所「ぷらっと築地」は、休憩処やトイレも併設。
    それまで業務筋向けだったまちで、一般客も買い物を楽しめるようにした。

  • 2016年、市場移転前に中央区が開業した「築地魚河岸」。
    場外市場に隣接し、豊洲市場に店舗をもつ仲卸(鮮魚・青果)が入居する。豊洲は8割が大型物流(スーパーなど)向けであるのに対して、築地は都心からのアクセスが良いことから小口(飲食店など)が買い出しに来てくれることを狙った。
    一般客向けにフードコートも充実。

  • 「築地魚河岸」3階にある魚河岸スタジオでは、「築技セミナー」と題して、築地の「目利き」の技を一般向けに講義。写真は、マグロ仲卸「樋栄」社長によるセミナーの様子
    (提供・NPO法人築地食のまちづくり協議会)

町会などの垣根を越えて、
築地が団結!

― 築地市場(場内市場)の豊洲移転が決まったときは、どのような思いだったのですか。

鈴木 そもそも一九六〇年代半ばから移転と再整備の話は延々とありました。場外市場はそもそも、場内市場に出入りする業務筋向けに、鶏肉や玉子焼き、乾物や海苔、皿や包丁など食の現場を彩る多様な品を売る商売をしてきました。本来、業務用ですから移転しようがしまいが納入先は一緒です。ただ、それまで場内市場と共存共栄してきた場外市場は、まちとして一本立ちしなければなりません。将来を見越して、業務用市場として引き続き頑張りながらも、独自に一般消費者、観光客にアピールしようと設立したのが、築地食のまちづくり協議会(NPO法人認証二〇〇六年)です。総合案内所の新設、仲卸の目利きの技を伝える講座の開設、季節ごとのイベントなど、移転前にできる限りの手立てを尽くして、にぎわいを絶やさないよう努力してきました。
 新橋、京橋、銀座、日本橋など飲食店の小口の買出人は、バイクや自転車を使うので豊洲に移転すると不便で困ります。そのことはわかっていたので、中央区に場内市場の機能を残す施設「築地魚河岸」をつくってもらいました。豊洲に出店していることを条件に、築地魚河岸にも支店を出せるような体力のある仲卸が六十軒、入居しています。

小島 子どものころから移転の話を聞いていたので、いつかは……と思っていました。移転が決まって大きかったのは、築地のまちがひとつにまとまったことです。私は子どもの頃、旧小田原町(小田原から来た練り物の加工場が多くあったという)にあたる築地六丁目に住んでいたのですが、市場のある四丁目のほうには物騒だから行くな、と言われていたものです。かつてはそれくらい「別のまち」だったのが、築地食のまちづくり協議会ができて、ひとつになりました。ある若手たちが面白いイベントをやったら、こっちも負けてられない、との切磋琢磨が移転対策につながったと思います。

安永 それまで別々だった場外市場に関連する二町会、三商業組合がひとつの組織をつくったわけですから、築地にとっては一大事。でもこのことで前向きになりましたね。特に若い連中のライバル心はすごいですよ、口には出さないけれど。それが結果的に築地を良くしている。最近は小島君たちみたいな三十代、四十代の若手が台頭してきていて。ぼくなんか古老ですよ。

― 朝のイメージが強い築地で、夜の飲食にいざなう「築地はしご酒」も、画期的なイベントですね。

小島 場外市場だけが築地ではなく、まち全体を使ったイベントをやりたかったんです。思っていた以上に、若者からお年寄りまで大勢の人がいらして、こんなにも築地は愛されていたんだ、と再認識しました。築地は寿司店のイメージが強いですが、イタリアンや中華をはじめ世界各地の料理が楽しめる飲食店に参加してもらっています。

鈴木 とにかくお祭り騒ぎが大好きだから、みんなが協力して盛り上げるんですよ。

  • 小島さんはじめ築地の30代、40代の若手メンバー3名が発起人となって開始したイベント「築地はしご酒」。朝のイメージが強い築地の
    「夜」を楽しんでもらおうと企画。約50の参加店で、
    ワンコイン500円(または1000円)の特別メニューが楽しめる
    (提供・築地はしご酒実行委員会)

築地本願寺の試み
「『寺と』プロジェクト」。

― 安永さんは、もともと僧侶だったわけではなく、異例のキャリアから築地本願寺の宗務長に就任し、新しい試みをなさっています。

安永 普通のサラリーマン家庭に育ち、都市銀行に勤務後、経営コンサルタントになり、思うところあって五十歳で仏門に入りました。教団のお手伝いをするうちプロジェクトチームをつくり企画を提案したら採用され、自ら実行することになったのです。そのプランのひとつが二〇一七年に開始した「『寺と』プロジェクト」。待っているだけでは人は来ないし、新しい門信徒も育ちません。開かれた寺にするため、寺から外へ出て行こう、と。かつて人々の暮らしの拠り所であった寺の役割を現代的に再構築したいのです。
 法話会や仏教セミナーのほか、銀座のサロン「KOKOROアカデミー」でヨガやリンパマッサージなどの体験型レクチャーから相続・遺言などのアドバイスに至るまで、さまざまな講座を提供し、門信徒候補者に集まっていただく場になりつつあります。寺内を改装してカフェやショップ、ブックセンターを開設しました。都会的なニーズに対応し生前契約のできる合同墓をつくり、七千人以上の契約をいただいています。終活を含め人生サポートのワンストップサービスを提供する会員組織「築地本願寺倶楽部」のメンバーも一万五千人に達しました。

― カフェTsumugiの「18品の朝ごはん」は大人気ですね。限定数メニューなので、お寺で整理券を貰うというのが不思議な体験です。

安永 そうした取り組みが功を奏して、おかげさまで参拝する方が確実に増えています。移転の際は場外市場の皆さんと思いは同じで、人の流れが途絶えるのではと心配しましたが、幸い地元の方たちと一緒にさまざまなイベントに取り組むことでにぎわいを維持できているようです。

  • 銀座にオープンした築地本願寺のサロン「KOKOROアカデミー」。
    仕事帰り、または週末と、気軽に仏教的な考え方をベースにした講座などが受講できる。
    「落語で学ぶ相続・遺言・後見」「はじめてのくずし字・古文書」などテーマも多彩だ。
    詳しくは公式サイトへ(tsukijihongwanji.force.com)

  • 2017年にスタートした、築地本願寺の「『寺と』プロジェクト」。
    その一環でオープンした合同墓は、30万円から、で生前申し込み、年間管理費不要と都市型のニーズに対応している。

  • 築地本願寺内にカフェ「Tsumugi」がオープン。
    人気メニュー「18品の朝ごはん」(税別1800円)をはじめ、仏教や浄土真宗にちなんだ朝食やランチ、築地場外市場の店のつまみなどが楽しめる
    ■8時~21時(朝食は8時~10時30分)/TEL03-5565-5581
    年中無休(写真3点すべて提供・築地本願寺)

インバウンドが増え、
混雑する場外市場

― 築地市場が豊洲に移転して一年が過ぎましたが、お店の経営やお寺の運営への影響はありましたか。
築地のまちはどう変わったのでしょう?

鈴木 うちの売上は変わらないですよ。今や業務筋の注文はファクス、電子メールが当たり前。荷は豊洲市場へ運んで、大型トラックに積んであげればいい。移転から一年が経ち、小口の買出人は「やっぱり築地が楽」と戻ってくる傾向が見受けられます。NPOの要望で、豊洲と築地を結ぶ無料シャトルバスの運行が決まりました。ますます小口の業務筋が戻る傾向は高まるでしょう。

小島 うちも業務用メインなので売上はあまり変わっていません。隣にあった築地市場に商品を納めればよかったところを、豊洲まで行かなければならないのでちょっと早起きになったくらい。昔から築地の人って「忙しい?」と聞くと「暇だよ!」と答えるのが習慣なんですよ。それをマスコミが真に受けると困っちゃいますね。観光客も増えているし、十年前に抱いていた移転後の暗いイメージとはまったく違います。

安永 移転直後は一日の通過者が二割くらい減りましたが、飲食店や土産物の売上は落ちていません。場外市場を見ていると相変わらず昼間から混雑しているし、思いのほか移転の影響は大きくない。鈴木さんと小島さんのお話にもあったように、商売の根幹がBtoB なので、品質と納期と価格によって決まり、それを外していない業者さんは以前と変わらないのでしょうね。

鈴木 移転の影響というより、食生活の変化によって、干物や魚卵などを扱っていた昔の繁盛店が商売転換して新規の飲食店に土地を貸したり……それがいちばん大きい。場外市場も様変わりする必要に迫られていました。時代の流れと移転が重なったのですね。そしてなにより、外国人観光客がどんどん増えているのが最近の傾向です。

― 私たちの調査では、インバウンドの二五〜四〇%が築地に行きたい、もしくは行ったと回答しています。
それくらい外国の方々にも人気のあるエリアです。場外市場では、増え続けるインバウンド需要を見込んだ新規出店が目立ちますね。
あとは近隣の方々も買い物にいらしているのですか?

鈴木 まさにそれが今の目標。若い世代の都心回帰で、築地、月島、晴海などのマンション群に子育て世代が増えてきました。近隣に住む若い人たちが、ふだんから買い物を楽しめるようなまちづくりをめざしたいですね。

小島 インバウンド対応では外国語マップをつくり、ホテルなどに配布する予定です。地元の人たちに対しては、築地魚河岸の仲卸業者の人たちと一緒に中央区在住のママさん会と組んで、お魚教室などを実施する「育フェス」を開催しました。子どもたちの食育イベントにも発展しています。築地で買った食材で、築地魚河岸の屋上でバーベキューをする取り組みも人気です。
 皆さん、こんなに食材が豪華なバーベキューはないとおっしゃいます。

― 築地本願寺では、インバウンドの影響はありますか。

安永 十ヵ国語のパンフレットを用意し、インフォメーションセンターは英語対応が可能です。英語による法話会を毎月実施し、聴聞は無料です。終了後には茶話会で交流もあります。今後こうした取り組みを増やしていきたいと考えています。

  • 毎週土曜日に開催される、「築地BBQ」の様子。
    築地で買った食材を使って、器材が揃った築地魚河岸の屋上テラスでバーベキューが楽しめる。
    人気で予約が取りづらいとか。
    詳しくは公式サイトへ(tsukiji-bbq.com)

再開発で魅力が高まる!
大人が楽しめるまちへ

― 隅田川の護岸整備が進み、大きな船が近くまで入れるようになったり、風情ある古民家や空襲を免れたエリアが残っていたり、
築地には魅力的な要素が多々あります。東京ドーム五個分(約二三ヘクタール)にもおよぶ広大な市場跡地の再開発に関しては、
国際会議場などを設置する案を東京都は描いているようです。
 築地の未来を、地元の皆さんはどう考えていますか。

鈴木 東京都が発表した「築地まちづくり方針」では、西側の浜離宮恩賜庭園に近いエリアに国際会議場を整備し、隅田川沿いに船着場を、残りのスペースに商業施設ゾーンを想定しています。再開発が本格的に始まるのは東京オリンピック・パラリンピック後で、まず船着場周辺から手をつけるようです。とにかく人の集まるにぎやかなゾーンにしていきたい。それが東京都も私たちも考えていることです。大人が楽しめるまちになるといいですね。
 中央区では、銀座から築地にかけてのゾーンを一体化した「銀座—築地プロジェクト」というようなまちづくりの構想があります。日本橋を通る首都高の地下化をきっかけに、ニューヨークのハイラインのごとく、高速道路を緑地帯化する提案をしているようです。実現は何十年も先でしょうが、東京駅から銀座、築地、豊洲、臨海部をつなぐ地下鉄の構想もあります。
 築地ブランドの食文化の発信を担うのは、引き続き場外市場と築地魚河岸。東京オリンピック・パラリンピック終了後、晴海に三万人ほどのまちができますから、築地はいくらでも人が集まるまちになる。虎ノ門、勝どき、晴海を結ぶバス路線(東京BRT—バス高速輸送システム)が誕生し、東京オリンピック・パラリンピック後には運行ルートも広がるようです。住んで楽しい、訪れて楽しいまちづくりが目標。築地の未来は間違いなく明るいでしょう。

小島 今、新しいイベントの企画を練っています。築地魚河岸で買った刺身をその場で酒のつまみとして楽しめるような―。こんなこと、他のまちでは絶対にできませんから。
 築地にふらっと訪れてファンになってくれる人を地道に増やす作業を続けていくつもりです。新しい築地像を確立するのは、ぼくらの世代の役割です。大きな夢を語り合いながらも、実現できることを一歩ずつ積み上げていきたい。

再開発で魅力が高まる!
大人が楽しめるまちへ

安永 お寺の役割も時代と共に変わっていきます。寺の人たちに常々言っているのは、宗教法人も会社もコーポレーションという意味では同じ。金儲けを経営理念に掲げる企業などありません。顧客や社会のために理念があり、それを実現するのが経営目標です。私たちの理念も、人々のために仏の御教えを伝えること。講座やイベントや合同墓は、ご縁づくりの取り組み。その努力は一般企業と何ら変わりません。
 私は東京都の築地再開発検討会議のメンバーでもありました。商業の中心地、銀座と地続きの築地は大きな可能性がある。築地は、明治維新で外国人居留地ができ文明開化の拠点となり、市場による食の歴史がある。文化的な複合体としての成り立ちが、他の地域と際立つ違いです。中央区に新住民が移入している現在、顧客ニーズを先取りして人の流れをつくり、回遊性をもたせるチャンス。そのための空き地(市場跡地)が二三ヘクタールあると思えば、いろんな新しい価値を創れます。

― 築地は、ビジネス街の大手町、繁華街の銀座、イベント会場や住宅群の臨海部どこからもアクセスがよく、病院も充実していますしね。

小島 聖路加国際病院や国立がん研究センター中央病院の帰りに場外市場で買い物をされる方も多いです。

鈴木 看護師さんが場外市場の大ファン。夜勤明けに朝食を食べています。入院患者さんもパジャマで来たりね。

― 築地は新しく来た住民に対しても、やさしいまちではないですか?

鈴木 そうですね。私はマンション住まいですが、新しい住民が増えてコミュニティが昔より温かくなってきました。必ず挨拶を交わすし、ときには「いってらっしゃい」まで言う。
 そもそも客商売のまちですから、見知らぬ人に違和感がないんです。初めて会った人とも平気でわいわい騒ぐのが好き。暮らしやすいまちだと思いますよ。

― 確かに築地本願寺の納涼盆踊り大会や波除稲荷神社のつきじ獅子祭など、築地ではお祭りが盛んです。

鈴木 築地の人たちは昔から祭りが大好き。レジャーが多様化した高度成長期は盆踊りも祭りも寂れましたが、今またにぎわいを取り戻しています。築地本願寺の納涼盆踊りも、本願寺の檀家と波除稲荷神社の氏子と市場の業者が一体となって盛り上げています。結果、今や都内各地から大勢の人たちが来るようになりました。
 つきじ獅子祭も、私たちの半纏と同じ色の緑色のTシャツを希望者に配って、だれもが神輿を担げるようにしています。

  • 毎年7月最終週から8月頭にかけて実施される、築地本願寺の納涼盆踊り大会。
    場外市場の人気店も出店して、多くの人でにぎわう。(提供・築地本願寺)

  • 江戸時代の築地埋立に縁がある「築地 波除稲荷神社」の大祭「つきじ獅子祭」の様子。3年に一度の本祭では、大獅子が氏子域を巡行する(提供・築地 波除稲荷神社)

― 築地の明るい未来が見えてきたような気がします。本日はどうもありがとうございました。
●(構成・佐々木 聖)